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見た事、聞いたこと、思ったことのメモ。

人のために生きること、自分のために生きること〜「かぐや姫」と「まどか☆マギカ」

12月〜1月に観た映画で特に自分の体験に触れたもの、衝動が湧いたものに関して感想を残しておきます。

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編/叛逆の物語」

久しぶりに涙をこぼし迷いなく「めちゃくちゃ面白かった」と感じた映画です。

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◆自己犠牲によって生まれたシステムの否定

映画の私的なハイライトはここです。「わたしは何にもできない人間だから、自分が犠牲になって役に立ちたい」という自己承認のための自己犠牲を大否定するところ。


テレビアニメ版では「あなたのことを大切に思ってる人達はどうなるの?」「あなたが大切」というような言葉をほむらから、家族から、何度も注がれてきたにも関わらず「わたしって何にもできない人間だし...」とか「みんなのためになりたい」と「円環の理」という概念になったまどか。


真実を背負わせて友達を一人にぼっちにしてしまうことも、責任と執念に突き動かさせてしまうことも、まどかを忘れたはずの母親がリボンを見て涙を流すことも、気がつけない。まわりの人からこんなにも愛を受けながらも、どうして自分の命が大切でかけがえのないものだと気がつけないのか、どうしてまわりの人を大切にできないのか、遠くを見てしまうのか。

◆偽善ではない利他性とは

まどかが円環の理になったのは、「世界中の魔法少女のため」「友達のため」ではなく、「承認されたい自分のため、自分の居場所を見つけるため」。その証拠に、ほむらが円環の理の一部「鹿目まどか」を取り出しても残りの世界はまわり続ける。つまり、円環の理をつくり出すときに「鹿目まどか」本人が概念になる必要はなかったということ。(たぶん)まどかがした行為は利他的に見えてとても残酷な行動。自分と目の前のことしか見えないから、家族友人をないがしろにして、ほむらは悪魔になった。


まどかが自分に重なって、本当に痛めつけてやりたくなった。しばらくの期間、自分とまどかに腹を立て続けた。偽善者であり利他的でいることはとても気持ちがいいし楽だけれど、どうしたら偽善から抜け出して、最善の判断を下せるのか、本当に人を大切にするとはどういうことかを考えさせられる映画でした。全力でアニメ版の悲しい部分を救いにかかってからのほむらの悪魔化という演出もよかったのかな。そういうことが伝えたい映画ではないのかもしれないけれど。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語

かぐや姫の物語

◆女として生きること、人間として生きること

「女」として生きる事と、「人」として生きることが切り離されていることが悲しかった。「女」として生きることの幸せと「人」として生きることの幸せは違うのか。男が望む「女」になるときには自分自身を捨てなければならないのか。「女」でありながら「人」として生きるとはどのようなことか、ということが問いかけられた。

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かぐや姫が犯した罪と罰について

かぐや姫の罪は「地上での生活に憧れたこと」、罰は「穢れのある地上に落とすこと」という風に見えるけど、「わたしは、地上に来てなにをやっていたんだろう」「わたしは生きるために生まれてきたのに。鳥や獣のように」、「わたしは偽もの!」等のセリフにもあるように、都に行った後に「偽ものの『女』として生きてしまい『人』として生きなかったこと」、「人の情けを求めて地上に来たのに、それを捨ててしまったこと」が罪で、「記憶を消して、天上に連れ戻すこと」が罰なんじゃないかなあと思っています。かぐや姫は助けを求めなければ連れ戻されることなくずっと地上にいることができたので、人間や人の情け、こころというものが試されていたのではないかなあと。


かぐや姫は天上に連れ戻されたけれど、連れ戻される前に捨丸兄ちゃんとなら、女としても人としても生きられるということに気がついたし、天の羽衣を羽織った後も涙を流した。山で暮らすかぐや姫は、いきいきとしていた。まとまりないですが、人間は欲と邪念と穢れに満ちていて、ばかだけどそれでも地上は美しいという希望というか救いがあるように思いました。私たちは天上に連れて行かれる前に、しっかり人間として、生きねば。

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かぐや姫の物語 公式サイト


友達のため、家族のため、人のためになりたいのなら、まずは自分に向き合って自分のために生きなくては。