貧困もセックスワークも一言では括れない
M-Labo(M-Labo|医療学生・若手医療者がみんなでつくるWEBマガジン)に掲載された二つの記事を読んで、またそれに対するネット上の反応を見て思ったことのメモです。
→社会的弱者が性風俗で働いているという事実が指摘されています
→それに呼応する形で、当事者として感じていることが紹介されています
それぞれの記事で別の問題を指摘しているように思うのですが、ネットを見ているとそれを混ぜて捉えてしまっている感想が多いように感じました。
◆ひとつの論点では語れない
セックスワークと言っても、様々な人がそれぞれの事情で働いているので、一言では括れないと思います。ぱっと思いつくだけでも、以下のような論点があります。
<セックスワーカーの安全について>
→営業中の事件事故、性病、衛生、精神面等に対するケア
<セックスワークと貧困について>
→シングルマザー、知的障害者、低学歴、低所得、失業者などの社会的弱者がセックスワークに従事するなど、社会が引き受けるべき経済的困窮のセーフティネットをセックスワークが引き受けているという問題について。NHKのクローズアップ現代(あしたが見えない - NHK クローズアップ現代)でも取り上げられました。
<セックスワーカーとは誰か>
→形態として「管理型」、「搾取型」、「個人型」があるが、(これはGROW AS PEOPLE さんが定義したものなのかしら?)「管理型」の中にもポジティブな理由で働いている人、ネガティブな理由で働いている人がいるし、さらに細分化すれば彼氏や家族に打ち明けられているかどうかとか、いろいろな人がいる。
どれも関連し合っていて完全に切り分けることはできないと思いますが、セックスワークについて考える時に「誰のための議論なのか」「どんなことが問題なのか」「そのボトルネックはなんなのか」は論点によって異なってくるので、少し整理をして考える必要があるのではないでしょうか。これらの問題(ほかにももっとあると思う)をごちゃまぜにしたままで、女性が風俗で働くのは自由だとか、働くのが良いだ悪いだとか、ケアがどうとか偏見がどうだとかを語ることに違和感を感じました。
....書きたいことがありすぎてまとまらないので、まずはここまで。
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