セックスワーカー会議報告会に参加しました
2月22日に弾丸で京都を訪問し、セックスワーカー会議報告会に参加してきました。研究者、セックスワーカーの当事者、関連NPOの方、アクティビストの方など、スピーカーの皆さんが多様&豪華で、あらゆる角度からセックスワークについて考えることができる会でした。
会議では、セックスワークの国際的な捉えられ方から労働権、衛生面、性暴力、貧困問題、キャリア、教育などについて、それぞれの方がご自身が行われている活動と会議の様子があわせて報告されました。5時間超のイベントなので、内容のレポートは省き、考えたことのメモを残しておきます〜。
◆社会的な基盤を整えること
自分の意思で働いている女の子の中で、ポジティブに働いている人、ネガティブに働いている人がどれくらいの割合でいるのかが感覚としてですら把握できていないので、「何をすればいいのか」「どう捉えられればいいのか」は正直わたしはまだ答えが出せません。ただ、今の時点では「かわいそうな人、弱者が働いている世界」というイメージや偏見はなくした方がいいと思っています。以前紹介したこちらの記事(風俗嬢より:ちょっと言わせて | M-Labo)でも、「傾聴と共感を必要としている」という気持ちが綴られていましたが、そのように支援の対象=弱者として見られていると、偏見を払拭するということが現時点では難しいと思うからです。なので、セックスワーカーとして働きたい人が堂々と働き、働きたくない人が従事することがない社会になることが、当たり前かもしれないけど理想なのでは、と今のところは思っています。(いろんな人の影響を受けてこう思うようになったのですが)。AV女優の社会学にも、以下のような一節があります。
「意外に思われるかもしれないが、河合隼雄の「売春は魂が傷つく」といった考えに、私は少なからず同意するのだ。(中略)しかし、いま具体的に身体を売っている女の子たちは、おそらく必ずどこかで嘘をつかなくてはならない。誰かに隠しごとをしなくてはならない。そうでなければ社会から爪弾きにされるかもしれないし、誰かを深く傷つけるかもしれない。私たちは自分が組み込まれている愛らしい世界を壊さないように、嘘をつく。けれどだからこそどこかで破綻する怖さ、世界が壊れてしまう不安を抱え続ける運命にある。魂が傷つくという表現は大袈裟であっても、とても心が疲れる」
(鈴木涼美「AV女優の社会学」)
報告会では、質疑の機会に「働きたくない人が働かなくてもいい状況をつくる動きは?」「社会、店、労働者、客、それぞれのステークホルダーがどうしていくべきか?」ということを伺いました。
「セックスワークをしたくない」という人が働かなくてよくなるためには、同じ程度のお給料や待遇が必要になりますが、代替となる職業は今のところほとんどなく、水島かおりんさんが職業の選択について以前Twitterで投げかけたところ、上がってきた職業はクラブのお仕事くらいだったそうです。衝撃でした。
また、青山薫さんは「労働問題。セックスワークはスティグマがあるから、ひどい労働だと思い込まれがちだが、働いて仕事がある人というのもぼろぼろになっている。労働環境が悪い中で、セックスワークだけ特別なものといっても仕方ないので、全体としてよくしていかないといけない」という趣旨のことを話されていました。
社会として労働環境をどう整えていくべきか、スティグマをどのように払拭していくべきか(払拭すべきかどうか)ということ、整ったとして、社会とワーカーがうまく接続できるかということも、まだ自分の中ではもやもやっとしています。
貧困もセックスワークも一言では括れない
M-Labo(M-Labo|医療学生・若手医療者がみんなでつくるWEBマガジン)に掲載された二つの記事を読んで、またそれに対するネット上の反応を見て思ったことのメモです。
→社会的弱者が性風俗で働いているという事実が指摘されています
→それに呼応する形で、当事者として感じていることが紹介されています
それぞれの記事で別の問題を指摘しているように思うのですが、ネットを見ているとそれを混ぜて捉えてしまっている感想が多いように感じました。
◆ひとつの論点では語れない
セックスワークと言っても、様々な人がそれぞれの事情で働いているので、一言では括れないと思います。ぱっと思いつくだけでも、以下のような論点があります。
<セックスワーカーの安全について>
→営業中の事件事故、性病、衛生、精神面等に対するケア
<セックスワークと貧困について>
→シングルマザー、知的障害者、低学歴、低所得、失業者などの社会的弱者がセックスワークに従事するなど、社会が引き受けるべき経済的困窮のセーフティネットをセックスワークが引き受けているという問題について。NHKのクローズアップ現代(あしたが見えない - NHK クローズアップ現代)でも取り上げられました。
<セックスワーカーとは誰か>
→形態として「管理型」、「搾取型」、「個人型」があるが、(これはGROW AS PEOPLE さんが定義したものなのかしら?)「管理型」の中にもポジティブな理由で働いている人、ネガティブな理由で働いている人がいるし、さらに細分化すれば彼氏や家族に打ち明けられているかどうかとか、いろいろな人がいる。
どれも関連し合っていて完全に切り分けることはできないと思いますが、セックスワークについて考える時に「誰のための議論なのか」「どんなことが問題なのか」「そのボトルネックはなんなのか」は論点によって異なってくるので、少し整理をして考える必要があるのではないでしょうか。これらの問題(ほかにももっとあると思う)をごちゃまぜにしたままで、女性が風俗で働くのは自由だとか、働くのが良いだ悪いだとか、ケアがどうとか偏見がどうだとかを語ることに違和感を感じました。
....書きたいことがありすぎてまとまらないので、まずはここまで。
<関連>
セックスワークサミット2013@歌舞伎町に参加しました
7月29日に開催されたセックスワークサミット2013@歌舞伎町に参加してきました。NPO法人ホワイトハンズさん主催です。
シノドスで紹介されていた記事で前回のセックスワークサミットに関心を持ったこと、自分のまわりには「風俗で働く」ということがあたり前に選択肢に入っている人、とんでもなく蔑視する人の両方がいて違和感を感じていたこと、とても重要で切り離せないものなのにどうして後ろ暗いものになってしまうのか、ということをもやもやっと考えていたので参加してきました。
■セックスワークで稼ぐのは難しい?
テーマは『セックスワークで食う』 ~「裸になるだけでは、もう食えない時代」を、サバイバルするための方法~。
第一部では「職業としてのAV女優」著者の中村敦彦さん、SWASHの要友紀子さんの講演。
中村敦彦さんの講演では主にデフレ化するセックスワークについて。容姿やスタイルによほど恵まれていないともはやセックスワークで稼ぐのは難しく、そもそもAVや風俗で採用してもらえない、仕事がとれないという現実があるということを話されました。
要友紀子さんの講演では、風俗嬢の仕事を安定させ、健康と安全を確保できるような当事者、経営者、社会、民間などそれぞれのステークホルダーからできることについての提案がありました。
■誰のため、なんのための議論なのか
第二部の「食う」ための、ケーススタディ分析は、これは誰のための議論でなんのために稼がなくてはならないのか、「稼ぐ」とはどういうことか、どうして「セックス」なのかが十分に定義されていないように思いました。わたしは以下のような疑問を溢れ返らせながらお話を聞いていました。
・現在セックスワークで従事している人がより安全に働くためなのか、これからセックスワークの世界に飛び込もうとしている人のためなのか、年齢が高くなってしまった女性が稼ぐためなのか?
・80年代に比べて相当デフレ化が進み、裸の価値(これは計れないけれど)に見合っていないとしても、ケーススタディを通してみると、普通のアルバイトよりは稼げる。では、「稼げる」とはどういうことなのか?何と比べているのか?
・どうしてセックスワークで稼がなくてはならないのか?セックスワークが稼げないのだったら、「どうしたらセックスワークで稼げるか」ではなくて、もっとリスクが少ない職業や、セックスワーク以外でどうやって稼ぐのかということを考えた方がいいのでは?
■困窮者対策とセックスワークを切り離す
第三部の質疑がとても参考になりました。「セックスワークが社会や行政が引き受けるべき困窮問題のセーフティネットとして考えられてしまっている」というところで少しストンと落ちました。
困窮問題のセーフティネットとして考えていると、風俗に関わりのない人から見て、だめな人たちが作っている世界に見えてしまう。困窮者対策とは分けて、セックスワークへの偏見やイメージを変えていくということが必要だという意見。また、歴史的な風俗に対する意識の変化についても話を伺えたのが勉強になりました。社会の変化、セックスワークの役割の変化やその原因を踏まえてどこにアプローチできるのかを考えてみたい。
性愛への期待値が非常に下がっている中で、心を閉じて接客して自分の体が消費されすり減っていく、抜け出したいけど抜け出せない場所ではなくて、誇りや志を持って働けて心を開いてサービスする、愛をイメージできるところへ導く風俗、という話も興味深かったです。